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珈琲茶会
珈琲茶会

第17回 珈琲茶会

  

2019年4月14日(日)
■こちらの講座は終了しました■

午後1時~ / 初座1時間 後座(懇親会)1時間
於・書斎カフェにて

■本日のcoffee いつもの銘柄
■本日の茶菓子 記憶と記録:コミュニティ・写真・アーカイブ
■茶菓子提供者 楠本亜紀(写真評論、インディペンデント・キュレーター)
◆今回の世話人 斎藤絵美

■茶菓子解説:楠本亜紀

デジタル技術の飛躍的な進歩によって、2000年代頃から写真を取り巻く環境は大きく変化してきた。コンパクトなデジタルカメラも広く普及し、携帯電話にもカメラ機能が標準装備されている。「写真」はそれまでのフィルムカメラで撮影され、紙にプリントされたものとは違うものとしてイメージされはじめた。写真とは何なのだろう? 瞬間に固定された時間なのか? レンズを通して撮影された現実なのか? 「写真とは何か?」という問題が、広く問われはじめてすでに久しい。

写真の歴史を遡ってみると、1827年にニセフォール・ニエプス、1839年にジャック・マンデ・ダゲール、1840年頃にはウィリアム・ヘンリー・フォックス・トルボットが次々と写真を定着する方法を確立し、ダゲレオタイプ、カロタイプ、コロディオン法といった写真技法が生まれた。薬品や機材の扱いの難しさから、プロの写真技師が主に写真館で撮影するのが主流だった写真が、一般の市場に出回りはじめるのは19世紀後半のこと。職業写真家、芸術写真家、アマチュア写真家による報道写真、芸術写真の実践が積み重ねられはじめるほか、1900年にはコダック・カメラ社が子供でも買える1ドルという破格の値段のブラウニー・ボックスカメラの販売を開始。「あなたはボタンを押すだけ、後はコダックが全部やります」というキャッチコピーのもと、シャッターを押すだけで、あとは業者が現像・プリントを引き受けるシステムが確立した。

21世紀がデジタル技術の浸透によって、プリントをせずとも写真をイメージとして所有することが当たり前になった時代とするなら、20世紀は写真プリントが一般の消費者にも流通した時代だった。とはいえ、日本では20世紀前半はカメラも材料も高級品で、なかなか一般の手にわたるものではなかった。1925年に発売された35mmの小型カメラであるライカは、当時家一軒が買えるくらいの値段といわれていたし、第二次大戦がはじまると、写真資材は一般のアマチュア写真家にはなかなか手のとどきにくいものになっていた。だが、戦後、1960年代の高度成長期のなか、アマチュア写真の需要は拡大していく。フジフィルムは1968年にカラー写真需要掘り起こしの第一のターゲットとして主婦層に的を絞り「ママの記録は世界一」、「ママ、写して」を合言葉に「ファミリーフォトキャンペーン」をスタートさせた。続く東京オリンピック、万博といった日本を挙げての一大イベントを前に、カラー写真の需要はぐんぐんと伸び、以降もファミリーフォト、そしてファミリーアルバムは家庭に広く浸透していくこととなる。

写真は楽しかった家族の記憶や子どもの成長の記録をとどめる手段としてあるだけでなく、時に「抵抗」の手段でもあった。たとえば岐阜県揖斐郡徳山村で、徳山ダムの建設によって村がダムの下に沈んでしまうことを知った増山たづ子は、1970年代後半より村の人々の表情、風景、祭り、風習など、あらゆる物を写真に撮り収めていく。それは国策に翻弄される庶民に残された、記憶までなくしてしまうことに抗うための、数少ない手段の一つでもあった。筑豊の炭鉱労働者に寄り添い続けた上野英信が晩年にまとめた『写真万葉録 筑豊』(全10巻、1984-86年)も、日本の資本主義のなかで道具のように使い捨てられた炭鉱労働者たちの生活や仕事、日常の営みや、閉山後の生活などの写真を集めたものだ。社会の底辺の生活を記憶にとどめる貴重な記録の束となっている。

「写真」の歴史を考えたときに、20世紀に一般的に「写真」と考えられていたフィルム/写真プリント/写真アルバムといった形態は、その時代特有の歴史的産物だったといえる。大文字の歴史からは抜け落ちてしまう、普通の人々の暮らしの細部が、主に家庭、そして写真館、学校、役所といった地域のなかに、ひっそりと埋もれている。そして今、世代の交代がすすむなか、こうした20世紀の「写真」にまつわる「モノ」たちは、散逸、消失の一途をたどっている。

「みんなのアーカイブ」(2019年1月開始)は、犬山市を中心にこうしたモノとしての「写真」に日の目をあて、コミュニティ・アーカイブとして位置づけ、まちの共有財産として活用できるようなプラットフォームを作ろうとするプロジェクトだ。これは、2011年3.11直後からせんだいメディアテークの「3がつ11にちをわすれないためにセンター」を中心にはじめられた、「東日本大震災という歴史的な出来事を、個人の立場と視点から記録して、公的に共有し継承していくアーカイブ活動」にも大きな想を得ている。

写真には「記録」と「記憶」の両方の要素がある。機械としてのカメラの目がとらえた「記録」としての写真は、読み取られ、語られ、意味づけられることによって、人々の「記憶」となる。記録と記憶の相互往還を可能とするような場を作り、過去―現在―未来をつなぐ対話を積み重ねていくこと。そうしたことを、今、この場所から、手探りの状態ながらも、はじめていきたいと考えている。

楠本亜紀 略歴

写真評論、インディペンデント・キュレーター。みんなのアーカイブ代表。川崎市岡本太郎美術館学芸員を経て、フリーランスで雑誌や新聞等に写真評論を執筆するほか、展覧会企画、編集などを行う。東川町国際写真フェスティバルでは東川賞受賞作家展キュレーションをつとめる。主な著書に『逃げ去るイメージ アンリ・カルティエ=ブレッソン』(第6回重森弘淹写真評論賞)。犬山市在住。

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過去の珈琲茶会
第1回 2016年2月28日 松永直幸(鉄道史学会会員) これからの消費について考える
第2回 2016年4月17日 三頭谷鷹史(美術評論家) 夏目漱石の病、暴力、アウトサイダー・アート
第3回 2016年6月19日 田中美智甫(いけばな/嵯峨御流) 花手前(はなてまえ)
第4回 2016年10月2日 三頭谷鷹史(美術評論家)
                夏目漱石の病、暴力、アウトサイダー・アート(2)
第5回 2016年11月27日 大嶽恵子(美術ウオッチャー) 公共空間の彫刻像について考える
第6回 2017年2月26日 松永直幸(鉄道史学会会員) 濃尾地震の痕跡と慰霊・記念の表現
第7回 2017年4月16日 三頭谷鷹史(美術評論家) 美術の終末、芸術の終末
第8回 2017年6月25日 三頭谷鷹史(美術評論家) 続・美術の終末、芸術の終末
第9回 2017年9月3日 鈴木敏春(美術批評/NPO愛知アート・コレクティブ代表)
                「アール・ブリュットをめぐって」
第10回 2017年11月19日 「大雑談会」
第11回 2018年2月25日 肥田木朋子(元・財団法人かすがい市民文化財団学芸員)
実用とアートの共存から見る「書」
第12回 2018年4月22日 肥田木朋子(元・財団法人かすがい市民文化財団学芸員)
実用とアートの共存から見る「書」 その2
第13回 2018年7月8日 三頭谷鷹史(美術評論家)
1970年代、芸術から風俗へ この時、終末が始まっていた
-赤瀬川原平と岩田信市を手がかりに語る終末論―
(美術の終末、芸術の終末③)
第14回 2018年9月30日 三頭谷鷹史(美術評論家) ※中止
続・1970年代、芸術から風俗へ(美術の終末、芸術の終末③)
第15回 2018年12月16日 三頭谷鷹史(美術評論家)
女たちのいけばな/犬山版

第16回 2019年1月27日 三頭谷鷹史(美術評論家)
まだ続くのか珈琲茶会(反省茶会) 於・Z邸

第17回 2019年4月14日 楠本亜紀(写真評論、インディペンデント・キュレーター)
記憶と記録:コミュニティ・写真・アーカイブ
◆今回の世話人 斎藤絵美